7月14日 「朝日軍道」調査
平成21年7月14日から15日にかけて、「朝日軍道」調査のため、朝日連峰の一部を縦走してきました。
「朝日軍道」とは、今年のNHK大河ドラマの主人公である直江兼続によって朝日連峰の尾根伝いに開削された軍用道です。
1598年、米沢城主であった直江兼続は、米沢ともう一つの所領である庄内とを最短ルートで、かつ、当時しのぎを削っていた山形城主最上義光の所領(現在の村山・最上地区)を経由せずに結ぶため、この軍用道を開削。1年ほどで完成させたと言われています。
この軍道をめぐっては、大沼の大行院が主である最上義光にその存在を報告。大行院はその礼状として「某感状」を賜っています。
今回は、朝日山岳会会長で山形県自然公園管理員も務める花山忠夫さん(栄町)に案内役をお願いし、1泊2日の日程で、軍道の跡が残る数カ所を調査してきました。
【1日目】日暮沢から入山(午前6時00分)→竜門小屋(午前11時00分)→調査→竜門小屋出発(午後0時30分)→西朝日岳(午後2時30分)→大朝日小屋(午後3時30分) 大朝日小屋泊
【2日目】大朝日小屋出発(午前6時15分)→西朝日岳(午前7時30分)→調査・写真撮影→大朝日小屋(午前8時45分)→大朝日小屋出発(午前9時30分)→古寺山(午前11時45分)→古寺鉱泉着(午後1時30分)
広報あさひまち2009年8月号では、今回の調査を踏まえた特集記事を紹介しています。
≪リンク≫ 広報あさひまち2009年8月号 : 「天地人」から見る朝日連峰の歴史的魅力 (PDFファイル: 6.3MB)

15日早朝午前6時頃、大朝日小屋から北側、中岳方面を望んだ一枚です
ここから朝日連峰の尾根伝いに進み、軍道の跡が確認できる西朝日岳を目指しました

この日の天気は曇りでしたが、大朝日小屋の管理人さんによれば、こんなに条件がいいのは久しぶりとのことです

1時間ほどで西朝日岳目前のところまで到着
まだヒメサユリが咲いていました

本場のヒメサユリはピンクがとても鮮やかです
そして、奥に見えるのが西朝日岳

近づいて見てみると、登山道の右脇に葛折(つづらおり/曲がりくねった)の道があるのがわかります
これが軍道跡と言われているもの
荷駄も通る道として勾配を緩くしたものと思われます

この後、西朝日から大朝日小屋まで引き返してきましたが、金玉水付近から大朝日岳を望むと、大朝日小屋西側(写真右)のにも葛折の道が見えるような…

ちなみに14日は最悪の天候でした
この写真は14日の西朝日岳の山頂です

まだ雪も残っていました

途中で見つけた「おむすびマン」?のような石

お決まり構図の大朝日岳Y字雪渓で一枚
帰りは山頂から古寺鉱泉まで4時間で一気に下りました

.大沼の大行院に現在も残る最上義光公からの「某感状」
「このたび、景勝の軍勢が朝日山のふもと道を切り開き、乱入していることについて報告してくれたこと、大変感謝する…」といった内容のようです。
日付は慶長5(1600)年8月1日ですので、まさに関ヶ原の戦い(同年9月15日)直前の緊迫した情勢の中、出された文書といえます
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更新日:2019年03月29日