11月1日 森重流砲術伝承会演武

 平成21年11月1日から3日にかけて、第45回朝日町芸術文化祭が創遊館を主会場に開催され、町内で芸術文化活動を行っている各団体・個人が日頃の活動の成果を発表しました。

 このうち、森重流砲術伝承会(注釈1 永井正之師範/松原)は、「武田の赤備え(注釈2)」を彷彿とさせる揃いの赤い甲冑を身にまとい、創遊館芝生広場で砲術を披露。「ドーン」というすさまじい轟音を立てて繰り広げられる戦国時代さながらの演武に、訪れた約100人の観衆からは驚嘆の声が上がっていました。

(注釈1) 森重流砲術伝承会とは…(永井正之師範のコメント)

 森重流砲術は、防州末武(山口県)の森重靭負都由(もりしげ ゆきえすべよし・1759~1816)が流祖です。彼は砲術に加え船戦法や兵学をも学んだ人物で、射法は、作法を重んじ小銃から大砲まで細かく繰法が定められています。上杉鷹山の時代には米沢藩に出向き、藩士らに砲術・火術を伝授しています。

 私は長年当流を学び、古式銃砲の修復研究を40年以上行ってきました。平成5年に東京より朝日町に転入し、平成6年から地元の門下生と共に毎月1回稽古を重ね、学問的にも正統な森重流砲術を伝承してきました。長年の研鑽の結果、平成8年には、森重流砲術伝承者である社団法人日本ライフル射撃協会の前会長の(故)安斎実氏より免許を皆伝され、師範に任命されました。

 現在は全国各地で行われる古式砲術演武大会にも参加し、安斎氏が昭和5年より長年にわたり研鑽伝承してきた古式砲術の火を受け継ぎ守っています。

(注釈2) 赤備え

 戦国時代の軍団編成の一種で、具足、旗差物などのあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成の事。戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊である事が多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれた。

 真田幸村や徳川四天王の一人の井伊直政、そのほか同様の例として前田慶次の「朱塗りの甲冑」も有名。

  • 詳しくは次のリンクをご覧ください。

森重流砲術伝承会演武の様子

静かに座っている永井正之師範の写真

永井正之師範です

参加者全員による早撃ちで定位につく様子の写真

参加者全員による早撃ち

「定位について…」 

鉄砲を構えている写真

「構え!」

「放て」の合図とともに瞬間的に火柱が伸びたりしている様子

「放て!」

瞬間的に火柱が伸びたり…

火薬が爆発する様子の写真

火薬が爆発する様子が見て取れます(写真右奥)

火薬を込め直している写真

手前の人から順に撃ち、すぐさま火薬を込め直してもう一発

一分少々で一人5発撃ちました

別の射法で永井師範が合図をしている様子の写真

さらに別の射法です

永井師範の合図で会員が動きます

「火ぶたを切れー!」

皆が一列に鉄砲を構えている様子の写真

「放て!」

この日は森重流砲術伝承会のほか、米沢藩古式砲術保存会、水戸徳川銃砲史学会(水戸市)の射手が参加しました

演武全景の写真

演武全景です

伏せ撃ちの写真

このような「伏せ撃ち」も披露されました

迫力ある鉄砲を構える姿の写真

迫力ある姿です

基本姿勢の「立ち放し」の様子の写真

最終演武の「つるべ撃ち」

基本姿勢の「立ち放し」だそうです

「構え!」

最終演武の「つるべ撃ち」の様子の写真

「放て!」

すさまじい轟音と白煙が上がっている様子の写真

一発撃つたびにすさまじい轟音と白煙が上がりました

地元テレビ局の取材を受ける永井師範の写真

終了後、地元テレビ局の取材を受ける永井師範

りりしい甲冑姿に写真撮影の依頼を受けている写真

りりしい甲冑姿に写真撮影の依頼も

各地からの応援参加者と一緒に記念撮影をしている写真

各地からの応援参加者と一緒に記念撮影

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更新日:2019年03月29日