7月19日 「越後之島」が誕生 大沼浮島「島まつり」

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大沼の浮島伝統の「島まつり」が7月19日、同所で行われました。 白鳳9年(681年)、山岳修験行者、役小角(えんのおづぬ)によって発見された「大沼の浮島」。その後、弟子の覚道(かくどう)によって浮嶋稲荷神社が建立されると、鎌倉時代以降は大江家、最上家など歴代領主の祈祷所として手厚い保護を受けてきました。

村全体が幕府の朱印地(※1)になった江戸時代以降は、徳川将軍家の庇護を受け、祈祷所として幕府及び同家の安泰を祈願。別当(※2)である大行院は6年に一度(丑年と未年)、歴代の将軍に謁見して御守札を献上し、時服(※3)を拝領するのが通例でした。

大沼の浮島は泥にヨシなどが生えてできた大小様々な「島」がシンボルですが、かつては島の動静によって吉凶を占ったそう。「島まつり」とは年に一度湖畔から新たに「島」を切り出す神事で、新しい島はその年の吉方位にちなんだ旧国名が名づけられます。

西南西が吉方位の今年は、同神社の宮司によって「越後之島(えちごのしま)」と命名され、来賓として出席した吉村知事が木札に名称を揮ごう。木札を立てられた島はその後、氏子らの手により湖面中央に浮かべられました。

※1 朱印地…江戸時代に幕府・大名より神社・寺院の領地(寺社領)として安堵(領有権の承認・確認)された土地のこと

※2 別当…寺社で執務を統括する者

※3 時服…朝廷や将軍などから賜る衣服

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大沼を訪れた吉村知事。出身は大沼から山を一つ越えた大江町の七軒地区。直線距離で約5キロの大沼は小学校の遠足で訪れたことがあるそうです。

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  島まつりを前に、大沼浮嶋稲荷神社に参拝

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シンボルの鵲(かささぎ)橋では、鯉の餌づけを楽しみました

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島まつりの神事は湖畔の広場で行われ・・・

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浮島稲荷神社の宮司(右)や・・・

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多くの地区のみなさんが出席

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お祓いが行われ、祝詞(のりと)が読み上げられたあと・・・

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吉村知事自ら新しい島の名称を揮ごうしました

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出来栄えに笑顔を浮かべる吉村知事と同区の小林晴雄区長

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その後、浮島雅楽保存会の音色のもと

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関係者が玉串を捧げ、地区の繁栄や無病息災を祈願しました

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知事が揮ごうした木札は新しい島に立てられ・・・

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氏子により沼の中央へ浮かべられました

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沼の桟橋に至る道は今年3月、階段状に整備されとても歩きやすくなりました。餌づけ用のエサは無人で販売されていて、いつでも気軽に楽しむことができます。

歴史ある修験の地大沼にぜひ足をお運びください。

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更新日:2019年03月29日